モリー先生のおはなし

桜もだいぶ散って葉桜になってきましたね。

今年は桜が随分長く咲いていたようなので、
どこへ行っても桜が満開だったり、
後半は桜吹雪や桜の絨毯など、
桜フルコースを堪能した春でした。



先日の夜、熊谷に住む70代の
親せきの叔母から電話がありました。
久しぶりだったので、「なんだろう?」と思ったら

「あっこちゃん!今、所さんのダーツの旅で
オーストラリアやってるのよ。家にいるなら見て!」

とのことでした。あいにく番組は見れませんでしたが、
親せき一同、みんなが私がしているお仕事を知っているので、
こうして気にかけてくれることが嬉しいです。




話は変わり、「モリー先生との火曜日」を読みました。
この本は随分昔に出版されたもので、10年前に読んだのですが、
突然思い出して読みたくなり、再び購入しました。


モリー先生は大学の老教授。
ダンスが大好きな、誰からも愛される人です。
そのモリー先生がALSという難病に侵され、
余命わずかと宣告されました。


ALSは筋萎縮性側索硬化症といって、
体中の筋肉が動かなくなり、最後には
肺も含めた臓器が動かなくなり死に至ります。
原因不明で治療法はありません。



死を間近にした先生の病床で、
「最後のレッスン」として卒業生のミッチが
人生の意味について毎週火曜日に先生に話を聞きにいく、
というそんな内容です。


数週間後に必ず死ぬ、と分かっている先生の言葉には
重みがあります。

あらゆるものを失った人の語ることは、
それを失っていない、まだもっている私達への警告でもあります。



モリー先生の体は動かないので、
食べることも、外へ出て自然を楽しむことも、
旅をして素晴らしい景色を見ることも
なにもできません。

それが出来る人々はとてもラッキーだと言います。


何かを所有していてもちっとも役に立たない。
何を持っている、持っていないという文化は
人々を満ち足りた気持ちにさせない。


人々は映画俳優のゴシップや、スキャンダル、
セレブやモデルがどんな生活をしているかなど、
赤の他人のドラマに日夜うつつを抜かしている。


自分にはまるきり関係のない事がらに
何時間も潰している。



自分の時間がないモリー先生は
そんな時間をもったいないと言います。



そして「もう一度若くなれたら、、」と
過去を振り返ってばかりいる人は
人生に満足していないと言います。


人生に意義を認めていたら、
逆戻りしたいとは思わない。
先へ進みたいと思うはず。
もっとやりたい、もっと先を見てみたい、と思うはず。

若さはいい、と言っても
当の本人たちは苦悩を抱えて
自分を無能だとか、悲惨だか言っている。


年を重ねることは老化じゃない。成長なんだ。
年をとるまいと戦っても仕方ない。
年はとらざるを得ない。



ここまで。


こんな感じのことを書いています。


確かにフェイスブックやインスタなど
私たちは「自分に関係のない他人の生活のチェック」に
時間を費やしていたりします。

そして、消費社会の餌食になって、
「それを持っていないと不幸」だと思ったり。


ネット社会は便利ですが、
溢れる情報におぼれる危険もあります。


誰かの経験は事実かもしれませんが、その人の経験が全てかと言ったら
それは違うと思います。

ホテルのレビューとかもそうですよね。


例えば、めちゃくちゃ良かった!また来たいです!と書かれていても、
その人が普段ドミトリーにばかり泊まっていたら、
「めちゃくちゃ良かった!」となるかもしれません。

普段5つ星に泊まっている人が
4つ星に泊まったら「まあまあだった。リピートはないです」となるかもしれません。

私たちが記憶するのはおそらくこの「リピートはないです」という
ネガティブな所だけだと思います。
ほんとはすごく良い所かもしれないのに。


まあ、こんな感じであくまで誰かの意見は誰かの主観や
体験や気分?で書かれているので、
それを参考にするのはほどほどに、ということです。



そして、若さについて。


私も「20代は肌がぷりぷりで綺麗だったなあ」とか思ったりしますが、
幸せだったか?と言われると、今よりも苦悩があった気がします。


そして、20代の時に「肌がぷりぷりで、私ってなんて綺麗なんだろう」
と、毎日鏡に見とれていたかというとそうでもなく、
それなりにダイエットに苦戦し、にきびと格闘し、
「若さって素晴らしい!」なんて
考えたことはありませんでした。



私はいま40代ですが、きっと60代になった頃に
40代の人って肌がぷりぷりだし、体力があって羨ましいわ、
なんて言うのでしょう。


幸い私は自分の若さに気が付くチャンスがよくあります。
テニスでシニア世代の人達とプレーする時です。
60~70代の中にいると、まるで自分が学生のように感じます。


「お若い方、どうぞどうぞ」
「やっぱり若いねえ」


とか、そんなことをしょっちゅう言われます。
シニアの人と話す機会が多いと
「こういうシニアになりたいな」
と思えるような人にたくさん会います。


シニアは私にとって「癒し」なんですが、
なんというか、寛容さがあるんです。


角がとれていて、器がとても大きい。
みんなニコニコしているし、
「ここまで生きたから十分。あとはついでの人生」
とか言う人もいるし。

なんか、戦っていないんです。
もうリタイヤして、孫もいて。
健康でテニスが出来るのがなんて幸せ、みたいな。


みんな、今ある自分を楽しんでいるし、
周りの友達たちも、もう死んでいる人も出てきているだろうし。
逆らっても仕方なし。いまの時間を楽しもう、みたいな。



何歳であっても、今もっているものに気が付かないまま過ぎて
いったらもったいない。

過去には戻れないわけですし、年は重なるだけです。
そしてそれは悪いことではなく、成長です。

それならば、1年たつごとに「成長した」と実感できる、
充実した時間を意識して持った人のほうが絶対にいいと思います。



なんとなく2018年になるのか。
なんかに挑戦したっけ?とぼ~っと過ごすのか。
また1年終わっちゃった、と自責の念に駆られるのか。

それとも、留学して2018年を迎えるのか。
2020年のオリンピックの時に、
あの時に留学しておいてよかった、
と英語をぺらぺら話しながら思うのか。


成長した1年だった。
こうやって自覚できる毎日を過ごしましょう。